HOME > 花の資格コラム目次 > 花の習い事は自分に向いているのか、向いていないのか

花の習い事は自分に向いているのか、向いていないのか

花の習い事は自分に向いているのか、向いていないのか

花の習い事に、向き・不向きはあるのでしょうか……?

花の習い事に向き・不向きはあるか

管理人個人の感触としては、花の習い事の「向いている・向いていない」については、はっきりした性格の傾向などはないと感じています。
しかし、私は長い間花業界の内部にいるので、身近すぎてそれに気づけなくなっている可能性があります。

「花の習い事をやめる理由」には、いくつかのよくあるパターンがありますので、そこから「向き・不向き」の存在をあぶり出せるかもしれません。
よくある「やめる理由」の中から、向き・不向きにかかわると思われるものを書き出してみると下のようになります。

  • 作業が好きになれなかった
  • 上達しなかった
  • ジャンルや教室の「独自の雰囲気」になじまなかった
  • 興味が続かなかった、自分なりにやり切って気が済んでしまった

上記の「理由」から、向き・不向きを考察してみます。

その「作業」は、自分に向いているか?

上手な人の作ったものの結果だけを見て、
「ステキだな」
「こういうのを私も作れたらいいな」
と思うのは、だれでもそう思うのです。

花の習い事を始めたら、まず直面するのは、
「ステキな結果」
よりも、
「結果に至るまでの作業」
です。

ということは、素晴らしい出来上がりの作例だけでなく、作成の過程の作業が自分の好みかどうか確認してみるのが良いのではないでしょうか。
実際に、フラワーアレンジメントにあこがれて習い始めた人が、花をテープやワイヤーで固定することになじめずに、「お花がかわいそう」と言ってやめていくなどは珍しくありません。
作成作業や、使う素材、道具を見てみて、
「面白そう」
と思うならば、それは「向いているジャンル」ではないでしょうか。
作業が面白くて仕方ないと思えるなら、仮に思ったほど上手にできなかったとしても、満足感は大きいはずです。

「才能」については、簡単には言えない

「向いているかどうか」を、「才能があるかどうか」という観点から考えたい人もいると思います。

才能についてリアルなことを言いますと、やってみないとわからない部分が大きいです。
花が好きで、工夫して作ることが好きで、自分を表現することも好き……という人がいたとすると、いかにも花の習い事で才能を開花させそうですが、そういう人が全員上手いとも限りません。
反対に、不器用で表現したい欲求もそれほど無いタイプの人が、なぜか花だけは上手くて人の上を行ける、ということもあります。

要するに、着手する前に才能のある・なしを判断できることは少ないです。これは、花を習って40年以上、教えて30年、巨大門下のスタッフとして20年以上を過ごした私の実感です。

よって、才能はあるかどうかわからないが、それでも花の習い事をしてみたいという欲求があれば「向いている」し、なければ「向いていない」ということなのかと思います。

趣味で花を習いたいだけであれば、才能は無くても続けられるのです。自分が楽しめればそれでいいのですから。
しかし、成果を出せないと、続けるモチベーションを保てない人はいます。ある程度の人数がいる教室では、自然と「うまい人たち」(要するに、先頭集団)が発生するもので、そこに入れないと楽しくない人もいます。
自分は成果が出せるのか、先頭集団に入れるのか、ということは、一回や二回のレッスンではわかりません。習う前にそのような見極めは、ほぼ不可能と考えてください。

(ごくまれに、最初からうますぎてつまらなくなってやめる、という人もいます。才能があればハマるというものでもなさそうです)

「その教室に向いていない」ということもある

花の習い事そのものには向いているのに、「そのジャンル」または「その教室」には向いていなかった、という場合があります。
その教室の人、全体の雰囲気、そのジャンルの「乗り」のようなもの……そういうものを好きになれなかったり、違和感を感じたりするときには、「そこには向いていなかった」ということもあります。これも、入って見るまで見極めが難しいことなのですが、雰囲気的なものは、体験レッスンを受けてみると、ある程度分かることもあります。

特定の教室、特定のジャンルには向いていなくても、別の教室や別の花ジャンルであれば、好きになれる可能性はあります。
もしも、「ここはダメだったが、他所を開拓しよう」と思えるなら、その人は花を扱うこと自体には向いているのだと思います。
花関連はもう嫌だと思わなかったのであれば、世の中に数えきれないほどある花の習い事の中から、もう一度自分の楽しみを探してみるといいです。

「向いている」にもいろいろある

習い事の楽しみ方は、いろいろあります。
習い事の学び方の一つとして、「習い始め、上達して、上のレベルへと勉強を続け、長い経験を積み、最終的に玄人レベルになる」という付き合い方があり、これがかなり「理想の習い事のあり方」と思われている節があるのですが、これだけが楽しく素晴らしい習い事の形ではありません。

ほんの短い間だけ、思い切り花のレッスンを堪能して、「楽しかったなあ」と終わりにする、それも幸せな習い事との出会いです。
短期間で気が済んでやめたとしても、それは厳密には「向いていなかった」とは違うもののように思います。短いお付き合いで終わっても、楽しい思い出になればそれでいいのではないでしょうか。

また、花の習い事だけに限らず、一か所にはとどまれない、元来長く続けないタイプの人は存在します。
同じジャンルの奥へ進んでいくよりも、軽快に別のジャンルへと移って全く新しい入り口を開ける方が性に合う人がいるのです。職業にするのならともかく、楽しみでするタイプの習い事は、一か所にとどまって深部を極めなければならないものではありません。
このタイプの人は、「その習い事に向いていない」というよりも、「定点で習い続けることに向いていない」のです。自分がこのタイプだと気づいたら、積極的に多様な楽しみを求めて様々な習い事を経験してみても楽しいのではないでしょうか。

管理人自身はどうだったか

一つの例として、管理人自身のことを書きますと、私はいまだに自分が花に向いているかどうかがわかっていません。

「向いてないんじゃないかな」と思ったことは、何度もあります。「向いている」と思ったことは、一度も無いです。でも、始めて13年目には、プロになる決心をしていました。もしも、本質的に向いていないのだとすれば、私は人生の選択を誤ったのかもしれません。
この事実は、「向いていないのかもしれない人」でも長く続けることはできるし、玄人になることもできる、ということを証明しています。

しかし、さすがに「完全に不向き」ではなかったのだろう、と思います。
私は、習い事歴で言うと、ピアノを2年でやめ(小1でしたが、入ってすぐに「これはダメだ」と気づきました)、書道は6年でやめています(上手くなりたかったから6年通ったけれど、下手さが苦痛でしかたなかった)。ピアノも書道も、みじめな思い出しか残っていません。花だけは、いまだにやめようという気にはなりません。

まとめ

上記のように考えてみた結果、「向いている」「向いていない」はそれほど簡単には判定できないという結論に至りました。しかしながら、それを探る方法が無いわけではないことと、「向いていないかも?」と思ったとしても、楽しんで続けられることは十分にあり得ることがお伝え出来たと思います。

管理人自身は、向いているかどうかもわからないままに続けてきた人間なので、「向いていようがいまいが、続けることで得られる何かがある」と感じています。
仮に「向いていない」と誰かが言ったとしても、「それでもやってみたい」という気持ちがあるのであれば、それは「向いている」とほぼ同じことなのではないでしょうか。


ページトップに戻る