資格にこだわらずに花を習う
花の習い事は、比較的簡単に資格が取れる分野です。そのため、「花を習う」ことと「花の資格を取る」ことを、ほぼ同義ととらえている人もいます。
しかし、花が好きで花の習い事をするのであれば、資格は必ずしも必要ではないはずです。
この記事では、資格にこだわらずに花の習い事を楽しむことについて書いてみます。
花の習い事は、楽しむだけで十分満足できる
花の教室に来る人のほとんどは、花に触れること、花で何かを創作すること自体を愛している人です。
つまり、「花に触れること」「花で何かを作り出すこと」を楽しむことが、教室に通う動機の主たるものなのです。なので、花の資格を取るつもりのある人でも、優先順位の第一位は「花で楽しみを得ること」であって、「資格をとること」は第二位以下になると思われます。
特に必要あって資格を取ろうとしている人以外は、花の教室に通って「楽しい」と思えたら、それで目的は果たされるのです。そもそも、それで良いのが花の教室なのだと思います。
「資格は不要」と考えている人は珍しくない
実際の花の教室で、「資格はとくに要らない」と思っている人は少なくないです。私の体感では(小さな稽古場主催者の体感ですが)、3~4割くらいの人は、「積極的に取るつもりは無い」と考えているように感じます。
資格についての考えを多い順に書くと
【1】習う以上は資格が欲しい
【2】資格が取れたらいいなと思っている
【3】習っていくうちに資格が欲しくなったら取ろう
【4】資格の取得はどちらでもいい
【5】資格が欲しいとも思わないが、もしかしたら取るかもしれない
【6】資格に興味はない。取るつもりは無い
↑このくらいになるのではないでしょうか。1の「欲しい」と、6の「要らない」以外は、基本的に「その時の状況により取るかもしれない」という考え方だと言えると思います。意外に、この考え方が主流なのかもしれません。
そもそも、習い事を始める動機はいろいろあるもので、花に大して興味もないのに、花の教室に入る人もいるのです。
たとえば、
「近所に花の教室ができたので、なんとなく入ってみた」
「友人に誘われて、断るのが面倒だった」
「取引先のお付き合い」
「ステキな出会いがありそうに感じた」
「暇を持て余していて、習い事なら何でもよかった」
等々、上記のものは、すべて私が実際に聞いたことがある入門理由です。
取引先とのお付き合いを円滑にしたい人にも、新たな人間関係を構築したいと思っている人にも、花の資格は特に必要ではありません。
ならば、取らなくても良いはずです。
自分が本当に求めているものが何なのか見極めましょう。そして、真に必要なものを手に入れましょう。
最初は「出会い」しか必要ではなかったのに、習っていくうちに「花の資格取得」も自分にとって大事なことになってきた、ということもあるかもしれません。そうなった時には、資格を取ることも合わせて考え始めたら良いと思います。
「資格を欲しがらない人=後ろ向きな人」ではない
みんなが資格を取っているのに、自分だけ取らないでいると、
「積極性に欠けている」
「本当に花の勉強が好きなわけではないのでは」
などと自分で思ったり、人に思われているのではないかと疑ったりする気持ちになる人がいます。
しかし、そんな心配は無用です。本来花の習い事は、浅くも深くも付き合える、すそ野の広いジャンルなのです。たまたま資格が欲しい人が多い教室に入ったからと言って、浅く付き合いたい人が無理に自分も資格を取ろうとすることはありませんし、資格を欲しないのがまるで自分の落ち度のように感じたりしなくてもいいのです。
長年花の教室を主宰してきて、自分の先輩たちの教室のことも見てきた人間として言いますが、花の資格を取らせるのも、先生の腕の一つなのです。だから、ある生徒さんが資格を欲しがらないのが誰かのせいなのだとすれば(本当は「誰かのせい」にするべきものではないですが)、私に言わせれば「しいて言うなら先生のせい」です。
資格を取った先に、今よりもっともっと楽しいこと、面白いことがあり、より豊かな領域が広がっているんだ、と思わせる腕のある先生のもとでは、生徒さんはその楽しみを求めて資格取得に向き合っていくものです。金銭的に取るのは無理だと思う生徒さんの胸の内にも、資格を取ることは夢として残り続け、それが、10年後や20年後にかなえられることもあるでしょう。
花の習い事と、自分にふさわしい付き合い方をしましょう。浅い付き合いが楽しければ、浅い付き合いでいいではありませんか。それを容認する懐の深さがあるのが、花の習い事なのです。
資格を出せない教室は、「質の低い教室」ではない
資格を出していない花の教室も、世の中には山のようにあります。資格を出さない理由は、
- そのジャンルに資格が存在しない
- 独学で得た技術を教えていて、資格発行団体に属していない
- 先生が、「資格など無用」というポリシーを持っている
- 資格申請ができない先生の教室である(※後述します)
↑などなど、複数考えられます。
人が、「資格が取れる教室」と、「資格が取れない教室」のどちらを「しっかりした教室だ」と感じるかと言うと、圧倒的に前者が選ばれますし、前者の方が「レッスンのレベルも高いのだろう」と思われるものです。
たしかに、資格を出さない教室は、生徒さんが資格が欲しくなったときに対応できないので、可能なサービスが一つ少ない教室であることは確かです。
しかし、「資格を出さない教室=レッスンのレベルが低い教室」と思うのは違います。資格を出さないことと、先生の技術の高さは関係ありません。上記の「資格を出さない理由」の4つの例を見ても、すべて先生の技術とかかわりない理由です。
4つめに書いた理由の「資格申請ができない先生の教室である」の意味は、資格発行団体を脱退したり休会したりしている先生の教室だと申請できない、ということです。
具体的な例でいうと、
例えば、私は草月流の師範資格を持っていて、実際に免状申請可能な指導者なのですが、私が草月指導者連盟の年会費を払わずに休会状態になると、草月に免状申請を受け付けてもらえない、ということが起こります。そうなったら、私は「資格申請ができない先生」になりますが、年会費を払ったかどうかで、私のスキルが変わったりはしません。つまり、私が免状を出せなくなっても、わが教室の稽古のレベルは変わらないのです。
楽しむことが大事!
資格を取らねばならない理由がある方以外は、花の習い事は楽しむことが大事だと思います。
資格を取ることを考えるときに、楽しさが無いなら、たぶんその人には資格は要らないのです。「資格申請が可能ですが、どうしますか?」と言われたときに、少しでも胸弾む思いを感じたら、そのときにはじめて「資格を取るのもいいかも?」と考えてみたら良いのではないでしょうか。